続。強迫性障害という病

あらゆる事に執着が強すぎるが故に俺の病は生まれているのか?

もしくは、前世か?

脳の作り?

はたまた守護霊?

ともあれ、一番強く何に執着しているのか。

恐れだろうか?

何かを失う恐れ。

俺は何を恐いと思っているのか。

根源的な恐怖である、死への恐怖はそこまで強くない気がする。

ではなんだ?

死が恐いものではなく安楽なら何も恐れることなどないはずだが。

今持っているものを失うことが恐いのか?

周囲からの信頼。

あまり多くは持っていないが財産。

肉体。肉体がなくなる、すなわち死。ひょっとしてストレスを受けすぎて死の恐怖を感じる感覚が麻痺して恐怖を感じていないのか。

痛い。苦しい。暑い。寒い。

肉体が受けるストレスが増えることは確かに恐怖ではある。

精神に受けるストレスは、肉体に起因している気もするが。

たとえばもし俺が、パワハラをずっと受け続けていたとして。

このときの恐怖の元はなにか。

パワハラを受け続けているのにその場に居続ける理由でもいい。

思い切って会社を辞めるとする。

もしかしたら、次の仕事が決まらずお金がどんどん減っていくかもしれない。

そうするとご飯が食べられない。空腹はストレスだ。

住むところをなくすかもしれない。住むところが無ければ暑さ、寒さをしのぐこともできない。

この場合の恐怖は、肉体にストレスを受けることが増える。可能性がある。

この理解の仕方であっているだろうか?

ならば、俺の病を作っている恐怖はなんだろう。

確認強迫を作っているものとは。

例えば運転時。

もし事故を起こせば発生するであろう、多額のお金の支払い。

お金がなくなれば現在の生活を維持できなくなる。これも恐怖。

仕事中。

仕事で確認が増えるのは、ミスをしないため。

ミスが増えれば、会社を解雇されるかもしれない。

これもまたお金がなくなり、食事ができない。

雨風を防げない。

こんな感じか?

水道の止め忘れの確認や、家の玄関の鍵の確認も同じく。

こんなふうに理解を進めれば、病は消えるだろうか。

それとも、理解や納得ということでは、病を消すという目的に達するには方向性が間違っているだろうか。

困ったな。

医者も薬も、病を完全に治してはくれない。

結局は、治療法は自分で見つけるしかないのだが。

何か違和感も感じる。

これではやはり問題に執着してしまっている気がする。

執着することを減らすには?

いかん。眠くて頭が回らん。

最近はもともと大して回ってはいないが。

今日はこの辺にしよう。

 

 

誰かの為の自己犠牲がこんなにイライラするもんだとは

Dr.コトーの劇場版がアマプラで見れるようになっていたので観てみたが。

俺は無理だった。

価値観の違いだな。

観てない人がこれを読んだらアレなので、先に言っときます。

ストーリーにモロに触れるので、観たい人は読まない方がいいです。

あんな感じだったっけ?

ドラマ版は再放送含め二周くらいした筈だけど。

こんなに嫌な気分は残らなかったと思うんだけどな。

みんなしてコトー先生に頼りすぎの甘えすぎ。

コトー先生も自分を犠牲にし過ぎて最後まで観るのが辛かった。

作り話とはいえ。

最初のうちは良かったけど。

話に入り込みたいのに全然入り込めなくて終わってしまったわ。

コトー先生は白血病になるんです。

で、すぐ治療を開始しないといけないんですって。

じゃないと命に関わるそうで。

なのにまだ島に残りたいんですって。

島で治療したいんですって。

柴咲コウはコトー先生と結婚してただいま妊娠中。

柴咲コウは当然怒りますわな。早く入院しろと。

んで、新しいキャラで新人の医者が島に研修で来てまして。

この先生が言う訳です。

コトー先生だから今までなんとかやってこれたけど。

普通の人には1人で島中の人を守るのは不可能だと。

昼夜問わず呼び出されたり、休みもほぼないような状態で。

そりゃそうよ。

だから、1人に頼りすぎないように、システム作りをしないといけないみたいなことを言うんですわ。

だけど、大森南朋がまた新しい医者を探さないとみたいな感じのことを言う訳です。

まだこのシステムで行くってか、と。

たまたま来た医者がコトー先生みたいなタイプだったから良かっただけで。

全然話聞いてくれない。

そんな時に嵐が来て、土砂崩れが起きて。

コトー先生はまだまだ頑張ります。

自分が倒れそうなのに、島の人たちを全員助けたいんですって。

で、結局倒れる。

柴咲コウも産気づく。

そしてせっかく避難所に居たのに、勝手に家に戻って土砂崩れにあったばあちゃんを鼻血出しながら手術する。

まあ、手術自体は成功するんですけども。

そこから一気にエンディングに行くので、もうちょっと後日談をはっきり描いて欲しかったかな。

受け取り方を観た人に委ねる的な映画は多いけど。

昔はそんなに気にならなくて、むしろその方がいいくらいに思ってたけど。

今は嫌い。

作り手がサボってるだけみたいに思ってしまう。

観た人を納得させて欲しい。

納得させられるだけのオチをつけて欲しい。

そのオチについていろいろ考えたりするのが観た人に委ねていい所だと今は思う。

こんなにイライラさせられるという事は、映画に没入していたって事か?

そういう意図の映画だったのか?

だったら成功だわ。

思うに、自己犠牲自体ではこんなに嫌悪感を感じる事はない。

1人だけ犠牲になって他の奴らが楽してるようなのが嫌なんだと思う。

全員がもうギリギリで、どうにもならない状況からの自己犠牲だったらもっと素直に観れる筈。

Dr.コトーの劇場版を観て、こんな感想を持ちました。

 

 

 

俺ガイル

消えたいほど気分が落ちること。

俺も経験ある。

辛いやね。

仕事の失敗、家族と不仲、思い通りに出来ない自分、いくら人にそんなこと大したことじゃないって言われたって。

 

悩んで悩んで、もう良いかなってなっちまうんだよね。

毎日、毎日。

楽しいことなんかなんもなくて。

この先もそうなんじゃないかって。

ネットでいろいろ検索したり、本を読んでみたり。

それでもなんかピンと来なくて。

直接的な言葉じゃなくても、もっと頑張れって言われてるみたいで。

もう充分頑張ってきたし、これ以上頑張ることなんか出来ない。

まだ頑張らないといけないなら、もういいやーって。

楽しいことより、辛いこと、悲しいことが多いならもういいかなって。

でも、そんなときって目の前のことしか見えてないんだよな。

ホントはこの場所じゃなくても、生きていける場所なんかいろいろあるはずなのに。

この場所でなんとか踏ん張ろうとしちゃうんだよな。

もっと肩の力ぬいて楽に生きていいはずなのに。

ガッチガチに肩に力いれて、周りの期待に応えられるように。

ちゃんとしないといけないって思い込んで。

誰かの目を気にしすぎたり。

なんも責任とってくれない人の言うことに振り回されて。

だけどもう良いかな。

誰かの評価とか。

常識とか。

他の人の為に頑張りすぎることとか。

全部どうでもいいかな。

俺は頑張るなら、自分の為に頑張りたい。

自分のやりたいこと。本当に大事にしたいこと。したい人。

その為になら、言葉は間違ってるかもしれないけど、頑張れる気がする。

生きる場所を変えたいなら、それでもいい。

生き方を変えたいなら、それもあり。

それは、だれの許可もホントはいらないし、それが自分で立って歩く大人の本当の姿だと今は思ってる。

自分の人生だしね。

リアルに、死ぬ時に最低の人生だったとかって思いたくない。

居ないかもしれないけど、見てくれてる人。

今が、辛くてしょうがないかもしれない。

絶望してるかもしれない。

もう終わりにしたいと思ってるかもしれない。

赤の他人の俺はあんたに何もしてやれない。

俺もまだまだ自分のことで精一杯だしね。

あんたの人生に口を出す権利もない。

あんたの選択にも口を出すことは出来ない。

1人じゃないなんて、軽々しくは言えないけど。

俺はこの世界にいる。

何度も終わりにしたいとおもった。

自分を責めて、なんて自分はダメな人間なんだって思ったことも何度もある。

なんで俺ばっかりこんな目に合わなきゃいけないんだってことも思った。

他の人たちが羨ましくて、人が嫌いになった。

そんなくだらない俺が、この世界にいる。

あんたと同じ世界に。

 

 

 

 

結局のところそれだけの話

俺は、抗うつ薬抗不安薬を飲んで生活している。

副作用の眠気には、飲み始めの頃にだいぶ悩まされた記憶がある。

胃腸の調子が悪くなることはなかったように思う。

飲み始めてから太ったからな。

太るくらいだから胃腸は元気なんだろう。

その後も、薬が増えるたび太り続けている。

飲む前にも、別に運動を継続していたとかではないし、食事量を抑えた経験もないが、太ったなと思うこともなかった。

だから、まあ、薬のおかげで太ったというのが妥当だろう。

止めればいいと思われるだろうが、話はそう簡単ではない。

飲み始めの頃、何度か薬を飲み忘れることがあったが、体調、及び不安感が強くてずいぶんとしんどかった記憶がある。

一日飲み忘れただけでそれなのだから、止めるとなると、一体どうなるのか?

不安がよぎる。

ネット上には、いきなり断薬するのは危険が大き過ぎるので、主治医に相談のうえ断薬すべしとの意見が多い。

だが、俺の主治医が、断薬指示を出すことは永久にないように思われる。

とりあえず薬。

そういうタイプの医師だと思われるからだ。

また、逆の意見もあり、薬を止めたら治ったという人もいて、判断に迷うところだ。

とりあえず医師に相談してみよう。

そうだ、そうしよう。

なにも答えは二つに一つではなく、いくつもある。

減薬もそうだし、薬の変更が出来ないか聞いてみることも出来る。

成長したな。完璧主義だった俺よ。

まあ、こんなふうに悩みながら生活している訳だ。

そんな人は、この国にはゴマンといると言われればそれはそうなんだろうけども。

なるべくならこんなことで悩む人は少ない方がいい。

もっと理解とゆとりのある社会を。

そう願ってるのは、俺だけじゃないはずなのにちっとも変わらんな。

願ってない人の方が多いからか?

薬を飲みながら働くのは、とてもしんどいし、普通の人よりも疲労感とか半端ない。

かと言ってカミングアウトして、周りに気を遣われながら仕事とかするのもなんか嫌だな。

まだまだ理解は進んでいないしな。

もっと、簡単にカミングアウトして生活出来るようになるのもいいが、こんなに大量に心を病む人がいる状況はかなりおかしいと言わざるを得ない。

ですよね?

みんなただ、普通に自分の生活を送って行きたいだけだし、幸せになりたいだけだと思うんだけど、上手くいかんもんだ。

生きづらくてしょうがないけど、お互いなんとか凌ぎましょうや。

 

 

馳星周が変わっていった

不夜城からのファンです。

直木賞作家になるとは(謎に上から)

ノワールの尖ってた頃もいいけど、最近の落ち着いた雰囲気もいいね。

わんちゃん飼い始めて変わったのかな。

昔は、もう凄かったよね。なかなかエグめの小説ばっかで。

読みながら、ヤバい奴なんだろーなって思ってたわ。

不夜城の劉健一。

馳星周が劉健一みたいなんだろうなって思ってたわ。

いや、まぁ、俺は好きだけど、なかなかのクズ野郎でして。

もう、騙し合う、騙し合う。

好きな女とも騙し合う。

命を賭けて騙し合う。

最後は騙し合いに負けた好きな女を手にかける。

自分がいつでも優位にいる為に、他人の秘密が大好き。ネタになるから。

こういうのばっか読んでた時期がありまして。

まだ若かったので、とてもショックを受け、世界は腐ってるなんて思っていたころもありました。

でも、劉健一好きだったなー。

そのあとも似たような作品を次々に発表。

読んだのは、不夜城シリーズに、雪月夜、ダークムーン、漂流街、雨降る森の犬、ソウルメイト2冊、ゴールデン街コーリング、夜光虫、虚の王、マンゴーレイン、M、弥勒世、淡雪記、くらいか?

初期はもうホント暗黒小説って感じだったのに、淡雪記でちょっとおや?っと思った記憶がある。

ちゃうやん。と。

だいたい、嘘つきの主人公が、嘘つきまくって最後死ぬみたいな感じだったのに。ざっくり過ぎるくらいざっくりだけど。

淡雪記の辺りから、明らかにちょっと普通の感覚を持った主人公も書き出した。

そんで、弥勒世でぶっ飛んだ。

こんなん書けんの!?うそん。

俺の中で、不夜城シリーズと、弥勒世は、馳星周作品のベストになった。

しばらく馳星周から離れてたけど、またいろいろ作品読み始めるくらいのショックだった。

そして、雨降る森の犬、ソウルメイトですわ。

少年と犬は、まだ未読。タイミングが合ってない。俺と作品の。直木賞だけど。

もう、この辺まで来ると、もはや違う人くらい作風が変わってる。

いいことなんだけど、チョット寂しかった。

 

 

 

そう俺は愚かな人間。お前と同じさ

ダメじゃないし。

みんな違ってどうでもいいし。

自己肯定感だの、自分を受け入れるだの、まぁ、いろいろ言われとりますが。

自分をダメにして受け入れてどうする。

そのまんまでいいのよ。とか。

楽に生きれる系の本には大概書いてあるもんですが。

あんまり見ない方がいいんではないかと。

そもそもいいも悪いも、誰かが作った基準だもんで。

そこから外れてるから悪い。

その中に収まってるから良い。

誰かの言ったことを真にうけるもうけないも勝手ですけども。

まぁ、俺は真面目な方だもんで、だいぶ真に受けて来た訳だけども。

ちっとも楽にならないし、なんか違和感がある。

会ったこともない人に勝手に自分にダメ出しされたくない。

その言葉が呪いのようになる人もいるって事よ。

ここに。

自分を受け入れられないで生きてくのは、そりゃ〜辛い事なんだけども。

あんまり言葉に縛られると、上手くいくもんも行かなくなるよって事で。

自分を受け入れられてる人ってそもそもそんなことで悩んでないと思うんですわ。

最初っからできてるんで。

だから、そういう本を書いてる人って、もともとそういう勉強してきた人とか。

こういう人の方が客観的に見れるのかもしれんけど。体験してないから、苦しんでる人のことは本当にはわかんないんじゃないかな。

あとは、ずーっと俺らみたいに苦しんできて、自分なりにいろいろ試行錯誤して、楽になったから人にも勧めたいと思ってるとかかな?知らんけど。

人に寄り添うことは出来るかもしれないけど、楽にならないと意味がないんで。

たまたまその人には、そのやり方が合ってたってだけで、他の人にも当てはまる訳じゃないと思う。

参考程度にしといた方が。

もしくは、他に目的があるのかもしれないし。

お釈迦様も言ってらっしゃる。

お釈迦様ご自身のことも信じるな、と。

ダラダラ書いとりますが。

真に受けすぎないでって事で。

なんか夢中になれることがある人は、それに夢中になってるうちに自己肯定感とか、そんなのどうでもいいやってなるかもしれないし。

ない人も、走ったり歩いたりとか。

絵を描くとか。音楽やるとか。やってて嫌じゃない事なら、そのうち集中できてくるもんだから。

でも、本読んだり、ゲームしたりの受け身のヤツはあんまりお勧めしないかな。

最後に、松本大洋作、ピンポンより。

アクマこと佐久間先生のお言葉を。

「血の小便出るまで走り込め。血反吐吐くまで素振りしろ。いまよかちったあ楽になんよ。ヒーロー」

まあ、言うとりますが。

 

デブッタ

ただいま、体重がマシにマシているので、忘れっぽい自分の為に書いておきたい。

命の危険を感じることがあるので。

あと、最近太り気味の方がいれば、その方にも向けて書いていきたいと思う。

行くぜ。

まあ、デメリットしかないわな。

まず、シンプルに体調が悪い。

それに、足が疲れる。重くなった分の体重を支える為に。

けっこう歩く仕事だが、体重に比例して、筋肉量は増えていないようで、めちゃくちゃ足が疲れる。ぷるぷるする。

あとは、単純に見た目も悪くなるし、服も入らなくなってきてる。

パンツ類のウエストがもう、ギリ。

上もパツパツ。

気に入ったデザインの服があっても、試着できればいいが、ネットだと完全に賭けになるので、買うのを躊躇してしまう。

そして、息が苦しい。

前から症状は出てはいたが、出るタイミングが、運動時など、限定的だった為、余裕をこいていた。

今では、ほぼ常に苦しい。

これは、息が苦しいのと、連動しているのだと思うが、眠れない。寝てもすぐに目が覚めてしまう。地味に辛い。

腹が邪魔で、動作に支障をきたす。

足元が見えない時がある。昨日は、夜間に階段を踏み外した。これは、最近新調したスリッパにも原因はあると思われるが。

ソールが分厚く、硬いのでとても歩きづらいのだ。

 

にしてもだ。もう何万回と上り下りしている階段を踏み外したのだ。

なんとか、重大な事故になることは回避したが、このままではマズい。

まだぶつけた所が痛いし。

靴紐を結ぶ時にも一苦労ある。少し腹を凹ませてやらないと、靴紐に手が届かないのだ。

これも地味に疲れる。

普通に座っているだけでも、消耗していく。

体を起こしているのがもう辛いのだ。

血圧も上がった。たぶん、今が人生で一番太っているので、血圧も最高潮なんだろう。

とうとう、薬に手を出す羽目になった。

とまあ、こんな感じで、日常生活に支障をきたすようになってきたので、ダイエットに励もうと思う。

原因は、まあ、ストレスによる過食だ。

ストレス解消の為に、まずは食うという習慣がついてしまった。

だが、命を賭けてまで、太りたくはないので。

これから徐々にやっていこうと思う。

貴方もお気をつけて。

普通の生活が出来るうちに、何かしらを改めることをおすすめする。