そう俺は愚かな人間。お前と同じさ
ダメじゃないし。
みんな違ってどうでもいいし。
自己肯定感だの、自分を受け入れるだの、まぁ、いろいろ言われとりますが。
自分をダメにして受け入れてどうする。
そのまんまでいいのよ。とか。
楽に生きれる系の本には大概書いてあるもんですが。
あんまり見ない方がいいんではないかと。
そもそもいいも悪いも、誰かが作った基準だもんで。
そこから外れてるから悪い。
その中に収まってるから良い。
誰かの言ったことを真にうけるもうけないも勝手ですけども。
まぁ、俺は真面目な方だもんで、だいぶ真に受けて来た訳だけども。
ちっとも楽にならないし、なんか違和感がある。
会ったこともない人に勝手に自分にダメ出しされたくない。
その言葉が呪いのようになる人もいるって事よ。
ここに。
自分を受け入れられないで生きてくのは、そりゃ〜辛い事なんだけども。
あんまり言葉に縛られると、上手くいくもんも行かなくなるよって事で。
自分を受け入れられてる人ってそもそもそんなことで悩んでないと思うんですわ。
最初っからできてるんで。
だから、そういう本を書いてる人って、もともとそういう勉強してきた人とか。
こういう人の方が客観的に見れるのかもしれんけど。体験してないから、苦しんでる人のことは本当にはわかんないんじゃないかな。
あとは、ずーっと俺らみたいに苦しんできて、自分なりにいろいろ試行錯誤して、楽になったから人にも勧めたいと思ってるとかかな?知らんけど。
人に寄り添うことは出来るかもしれないけど、楽にならないと意味がないんで。
たまたまその人には、そのやり方が合ってたってだけで、他の人にも当てはまる訳じゃないと思う。
参考程度にしといた方が。
もしくは、他に目的があるのかもしれないし。
お釈迦様も言ってらっしゃる。
お釈迦様ご自身のことも信じるな、と。
ダラダラ書いとりますが。
真に受けすぎないでって事で。
なんか夢中になれることがある人は、それに夢中になってるうちに自己肯定感とか、そんなのどうでもいいやってなるかもしれないし。
ない人も、走ったり歩いたりとか。
絵を描くとか。音楽やるとか。やってて嫌じゃない事なら、そのうち集中できてくるもんだから。
でも、本読んだり、ゲームしたりの受け身のヤツはあんまりお勧めしないかな。
最後に、松本大洋作、ピンポンより。
アクマこと佐久間先生のお言葉を。
「血の小便出るまで走り込め。血反吐吐くまで素振りしろ。いまよかちったあ楽になんよ。ヒーロー」
まあ、言うとりますが。