信仰

初詣に行って来た。

一応、仏教徒ではあるが、大多数の日本人と同じく、盆、正月の墓参り、葬式、彼岸、初詣くらいしか信仰を意識することはない。

特に理由もなく、毎年、初詣には行っている。まあ、みんなそうだろうけど。

今年は、家内安全の札を買った。自分で札を買ったのは、初めてかもしれない。

効果を特に信じているわけじゃないけども、家の中に飾って、手を合わせ、札に書いてあることを願う。

俺はやらないが、1日に何度も手を合わせて、強く強く願われた札は、特別な力を持っていくのではないかとは思う。

信仰とは、また違うが、付喪神、言霊、丑の刻参り、呪い、などなど。

昔から、世界中に残っている伝承。

もはや無視出来る数ではないと、俺は思う。

信じる、信じないで語るまでもなく、ある。

現在も残る儀式の数でもそれは分かる。

信仰は、思いの強さ。

思い、想い、願い、の強さ。

それが無ければ、信仰は成立しない。

信仰がなくなれば、抑止力がなくなる。

天国、地獄、来世、今生、言葉はなんでも良いが、死んだ後に自分の身に起こる事を、信仰していればこそ存在する抑止力。

人間の光の部分がなくなってしまう。

宗教には、そういう部分も間違いなく存在すると思う。

カルトやらなんやらの人を傷つけるモノは基本的に俺は宗教だとは認めない。

存在意義がわからないからだ。

信仰とは、人が作り出したもの。

人が、より善くあるために作られたモノ。

で、無ければならないハズ。

なので、子供のときから、宗教的な儀式やらに触れることは、基本的には良いことだと個人的には思う。

三大宗教、そこから派生した宗教に限ってだが。

この宗教は良いモノ、悪いモノだという見極めには、長い長い時間が必要だ。

それこそ、数世紀はかかる。

そこで、淘汰されてきた宗教もたくさんある筈だ。

宗教に限った話ではないが、時間の洗礼はどうしたって必要になる。

だから、新しすぎる宗教を信じることは、ないし。

生きている間に、他の二つに変わることもあるかもしれないが、それ以外に変わることはまず考えられん。

なんの話かさっぱりわからなくなったが、とりあえず、今日買ったお札には、時々、手を、合わせて、願ってみたいと思うので、俺の願いの依代として、機能して欲しいと思う。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

人類皆等しく

人はみんな等しく害虫だ。

地球にとってみれば。

みんなゴミを出し、呼吸をし、何かを燃やし、生き物を喰い、排泄する。

別になにも地球にとって有益なものを生み出しはしないのに。

人間なんて皆クソだ。

だから、クソ同士で、どっちが偉い。どっちが頭が良い。どっちが運動が出来る。どっちが金持ちだ。どっちが仕事が出来る。

お笑いだ。

地球から見れば、皆等しくゴキブリなんかよりよっぽど害のある生き物なのに。

クソはクソ同士、助け合えれば助け合い、生きて行けばいい。

余計な知恵なんかつけるからおかしな事になっちまう。

相手を勝手に価値のあるもんだと思うからおかしくなる。

可笑しくて、おかしいのさ。

クソに、腹を立てても仕方がないし。

クソがなんか言ってるとでも思っておけば良いのさ。

お互いクソ同士、どっちが臭いか言い合ったってしょうがねぇ。

どっちがデカいか言い合ったってしょうがねぇ。

まぁ、クソが武器でも持ってたら、若干話は変わってくるが。

じゃなければ、大したことないと思えないか?

生産性だ、コスパだ、タイパだっていくら喚いても、クソに大したことなんかできやしない。

クソ同士ですごいすごい言い合ってるだけで、クソ同士の価値観で言い合ってるだけで。

地球には、一ミリも価値がねぇのさ。

そうだろ?

ただ自分も、他人も、等しくクソにだって思って生きるくらいで、ちょうどいいのさ。

何も思い悩むことはない。

何も成し遂げることもない。

どうせ最後は皆同じ。

どっかのトイレに流れるだけさ。

幸せでしたか?

あなたは、幸せでしたか?

あなたの最後は、決して良い最後なんかではなかったように俺には見えた。

自分だったら、嫌だな。

火の気のない家に住み、他人に頼られ、施すことばかりしたあなたの最後がアレですか?

最後には少しばかり家族に世話をしてもらっていたが、それではあなたが周りにしてきたことと釣り合いはとれていたのでしょうか?

生きている間はどうでしたか?

幸せでしたか?不幸でしたか?

そんなこと考えたこともなかったですか?

多分そうなんでしょうね。

昔は、昔の思い上がっていた自分は、あなたの生き方にまで苛立ち、あなたのことを軽蔑して時もありました。

ただ流されて。

周りに対して、もっと怒りを表現して、ぶつければいいのに。

あなたにはその資格は充分にあったはずです。

でも、あなたはそれをしなかった。

しなかったのか、出来なかったのか、したくなかったのか。

今となってはもうわからないけど。

わかろうとしたこともなかったですね。

俺を含め、誰も。

みんな貴方に、自分の意見を押し付け、貴方のことを思ってよりも、自分の為に、貴方を思うように動かそうとしましたね。

それでもいつも弱々しく笑っていた貴方は。

幸せでしたか?

貴方は1人でいた方が楽だったんじゃないですか?

子や孫には恵まれましたが、最後にはみんな、貴方の側にいましたか?

あちらでは、自分を尊重してくれる人と一緒に居てくれますように。

禁を破る

長年自らに課して来た禁を、遂に破ってしまった。

GUで服買っちゃった、、

ずっと馬鹿にして。安かろう悪かろう。そうなんだろう。

自分でも全く想像していなかった。まさか、禁を破るのが、今日だとは。

心のままに動いたらこうなった。

恐ろしや。

環境に負荷をなるべくかけないように、主に古着、新品を買う時もあるが、そのときは長く着れるよう、信頼できるブランドから買うよう心掛けてきた。クソ真面目に。

俺1人で悲しきレジスタンスをやった所で、世界にとってはほぼ何も変りゃしない。

1人分は変わるけど。

そう思って今までやってきたが、自分に制限をかけ過ぎていたのではないか。

だって服は好きだけど、なんか真面目すぎって楽しくないんだもん。

環境にはよくないけど、俺の心にはいいから、まぁ。しょうがないか。

基本方針は今までと変わらないと思うし。

でも、何故か今回は普段の自分なら買わないだろう服を何個か買ったなぁ。

なんだろ。

正月休みだから調子乗ってるのか?

まあ、自分で自分をガチガチに縛ってもいい事ないし。病気になるし。てか、なってるし。

だったらまぁ、緩めるのもいいか、と。

緩んだらなんか変わるかも知れないし、変わらないかもしれない。

でも、自縄自縛はやめとこう。ぜったいに良くは無い。

あまりにも、自分に対して厳しすぎる。

ドMすぎる。

プレイ中だけで充分だ。

普段の生活はゆるゆるで行きたい。

あ、生きたい。

思えばいろんな制限を掛けてきて、最近ちょっとずつ外してる最中で何も制限かけてない人はいないだろうけど、少ない人はさぞ生きやすいんだろうなぁと。

どこで制限かける人たち掛けない人の差が生まれるのか。

生まれつきの性格は、もちろんあるだろうし。

親の教育もあるだろう。

周りの環境だって忘れちゃいけない。

自分で何かから学んだものもあるだろう。

全部一回疑ってみた方がいいな。

誰の言うことも。

自分の人生だ。

自分が心地よくなることを選んで何が悪かろう。

それにしても、今まで全然知らなかったが、GUは、モノによっては3XLまで店舗に置いてあるんだな。

これは凄く嬉しい。

UNIQLOだとXLまでしかないから、サイズアップしたいときにオンラインで試着なしで買うしか無かった。

それで買わなくていいやってなったのが何度もある。

全てが標準化されたUNIQLOより、もしかしたらGUの方が俺には合ってるのかもな。

まあ、でもモノによるか。

 

 

チャンスはあったが、何故かタイミングの合わないバンド。ナンバーガール。

ある4人組のバンドがいた。

売れる、売れない二の次で、かっこいい曲を作る。

ドラムは変なカウントの取り方。ベースは、特に難しいことをやってる訳じゃない。ギターは、男に比べれば、パワーが足りない。ボーカルは、華がない。

でも、とんでもなくかっこいいバンド。

とんでもない影響力を持ったバンド。

彼らに憧れるバンドはたくさんある。

影響を公言するバンドはたくさんある。

音楽シーンの頂点に行くようなタイプのバンドでは無かったが、音楽好きには狂喜して迎えられ、まだこれから、もっと先へ行くかと思われる中、突然解散し、20年経ち、突然の復活。そして、新しく曲を作るでもなく、過去の曲を演奏するだけのライブを行い、また解散してしまった。

テクニックももちろんあるが、バンドの色を出せるドラマー。ルードかつ直線的なベース。パワーではなく、切り裂くようなギター。文学的かつ、その独特な存在感で、バンドを牽引するボーカル。

一度も生で観れなかったことが悔やまれる。

だが、正直なところ、生で観たかったのは、解散直前の、ヒリヒリした切迫感に包まれた彼等だったんだ。映像では、何度も繰り返し観た。

何度も鳥肌がたったし、復活後の映像も観た。

なるほど、演奏技術は向上し、安定感が生まれている。

だが、俺が彼らに求めているロックというヤツは、決して安定感から生まれるものじゃなく、いつでも簡単に壊れてしまう、刹那的なものだったんだと今知った。

だから、もう2度とみることはない。

 

 

ちょっと思い出しただけ

音楽を聴いてて、その世界にどっぷり浸かった経験がある。

あの感覚をもう一度感じたくて、色々音楽を聴いてはみるけど、一向に訪れる気配がない。

なんでなんだか。

もう、20年は前になる。

宇多田ヒカルDEEP RIVER。一晩中、クルマを走らせながら、その間中ずっと流してたあのアルバムが、俺の中のベスト。

正確には、あの時間が。

普段はこのアルバムは、ほとんど聴かない。

他に好きなアルバムや、曲は山ほどある。

宇多田ヒカルは、好きだが、他にも好きな歌手やバンドも山ほどある。

でも、何故かあの瞬間を超えることはない。

すごく素敵な感覚だったんだ。

全部が一つになったような。

車の外を流れる景色は、自分の住んでいる所からかなり離れた港町。

その景色を運転しながら見てるんだけど、都会にいるような。

存在しない都会。存在しない風景。

感覚はどんどん研ぎ澄まされて、何も、本当に何も考えてなかった。

全てが上手くいっている感覚。

ちょっと違うな。上手くいくとかいかないとかそんな次元じゃない。どうでもいいというのとも違う。

全部あって全部ない。自分がなくなったような。

あの当時は、仕事もしてない。昼夜逆転

何一つ上手くなんていってやしなかった。

だからかもしれない。

何も持ってなかったけど、特に不安も感じてなくて、ただ生きているだけ。

だから、あんな体験が出来たのかもしれない。

おまけに、ひどく疲れ果てていた。

今は、色々背負い過ぎて、常に何かを考えて、怯えたり、興奮したり。

気づくことが出来た。

ありがたや。

ただ生きている。

そのときに、俺は、1番リラックスして、感謝できるのかもしれない。

それに、気づくことが出来た。

書いてるうちに色んな気づきを得られるっていいな。

これからも書き続けたいな。

この先に、道があるといいな。

 

鬱々

少し前まで、何もやる気がしない。

世界中灰色。

生きる意味なんて無いとか。まぁ、無いと思うけども。

なかなかのダウナーな状態だった。

毎年毎年、冬が来ると必ず一度はなる。

夏は大嫌いだけども、やはり日光の力は凄いらしい。

気の持ちようでは、なんともならん。

恐ろしいのは、だんだんと落ちて行っていることに、当の本人は自覚が無いことだ。

本当に恐ろしい。

自慢じゃないが、俺の心は病んでいる。

いつの間にか、20年ほどは、精神科、心療内科に通院している。

薬の種類はそれほどでもないし、あまり増やしたくは無いのが本音だ。

辞められないとか言うし。

まあ、辞められてないんだけども。

と言うか、一生薬を飲み続ければいいとか平気で言う医者は頭がおかしいとしか思えない。

そりゃ、自分じゃないから簡単に言えるわな。

薬を飲んでる状態は不自然な状態で、誰もが自然な状態で生きてたいと思うのよ。

だけども、自然な状態で生きるのは難しいから、泣く泣く薬を飲んでるだけなの。

出来れば飲みたくないのみんな。

共感力の欠如だ。

じゃないと精神科の医者なんて務まらないのかもしれんが、もうちょっと患者に寄り添うことは出来んもんかね。

薬出すことしか出来ないなら、いらんのよ。医者なんか。

つい、溜まっていたものを吐き出してしまったが、俺の話だ。

今回は、あまりに辛くて、薬を一つ増やしてもらった。

そしたら、だんだんと動けるようになり、気分も上向いて来ましたとさ。

薬って凄いね。怖いね。

いつになったら薬飲まなくても良くなるのかね。

寛解ってなんかずるい言葉であんまり好きじゃない。

治ってないけど、なんとか行けるっしょみたいなことなんだろうけど。

なんとかじゃ嫌な訳。

もう2度となりたくない訳、こっちは。

とか言うと、完璧主義がどうたらとか言われるから、あんまり言いませんけど。

薬とセラピーとか受けても、寛解までしか行けないのは、どうなんだ。

生活整えて、考え方変えて、それでも寛解で再発する可能性があるってことなんでしょ?

それなら、もう今までの自分捨てて。

いらないもの全部捨てて。

生まれ変わるしか、無いんじゃあるまいか。

突き抜けて、今までの自分思い出さないくらいまで。

なんとなく、掴めそうで掴めないんだよなぁ。

理屈は、なんとなくわかるんだけど、体感が追いつかない。